趣味をつくりたいという人がいる。
オリンピックが延期された2020年に、趣味になりつつあるプロセスを体感した記事。
大人になった僕たちは「習い事」の時と何がちがうのか
幼い小学生のうちに新しい習い事をすることがあっただろう。
水泳、ピアノ、英会話などなど。
子供のころの習い事が「趣味」につながっている人は少なくない。
小学生のときと、大人になった僕たちはどう違うのか。
・はじめるきっかけ
親や周囲が既に決めていることもある。
自分から「これをやってみたい」ということもある。
多くは前者ではないだろうか。
・向き不向き
幼いときは何に向いているのか、向いていないのかがわからない。
向いている=楽しいと感じる。向いてない=楽しいと感じない。で判断するのがシンプルだ。
自分は小学生のときに集団のピアノ教室に2週間通い、追いつけなくて、楽しくなくなり、音楽がキライになった。
うまくできるかどうかよりも、うまくできないけども、それが楽しいと感じられるか。
・お金
小学生のときに、ピアノ教室の月謝を払っている子供はそうはいない。
大人になったら、
はじめるきっかけは自分でつくることができる。
向き不向きは少しはわかってきている。
お金も少しくらいは使える。
2020年、ちょっとした興味から趣味の一歩手前になったのが、
サーフィンであった。
2020年は海は泳げない
2020年の夏は、オンラインイベント、オンラインセミナー、ライブなどが動き出していて、多くの人はオンラインの中で活動しているような気がする。
自分はというと、ランニングをして、鎌倉や湘南などを走っており、サーファー達を丘から眺めていたわけだ。
同時に2020年は海水浴場が開かないことも明らかになっており、どうしたら海に入れるかということをぼんやりと感じていた。
・海に入ってみたい
・サーフィンをひさびさにしてみたい
というその程度のきっかけから始まった。
15年前のオーストラリア
15年前にサーフィンを初めて体験した。
正確にいうと、それはサーフィンではなく、波に押してもらう感覚を得ただけだった。
オーストラリアに語学留学していた自分は、ホームステイ先の目の前がビーチであったために、ほぼ毎日ビーチで泳いでいた。
そんなときに、ホストファミリーがサーフボードを何回か貸してくれたのだ。
うまく波には乗れなかったけど、あの感覚は楽しく心地よいと刻まれていたようだ。
7月、九十九里の海へ
2020年7月にある友人Aにサーフィンに誘われて、九十九里の海に行った。
老年の夫婦がやっているサーフショップ?でロングボードをレンタルして浜についた。
借りたボードにリーシュコード(サーフボードと足を結びつけるケーブル)がついてないことに気づき、もういっかいサーフショップに戻るというくらい、自分にサーフボードの記憶がなかったわけだ。
海に入り、とても楽しかった。
4−5時間やっていて、自分なりに試行錯誤はするものの、ほとんど立てずにその日は終わった。
そこで感じたことは
・海に入ってサーフィン?的なことをするのは楽しい
・独学で波に乗れるようになるのはかなり時間がかかる
ということだった。
これは、小学生が新しいゲームで遊び始めたようなものだ。
ゲームをするのは楽しいし、それをクリアしてみたいと感じていた。
続編を書こう。
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